プロフィール

自己紹介

世界最強の自己肯定感をもつ教師の自己肯定感アップ術の執筆者

佐藤大地(肯定先生)

自己肯定ダイエットコーチ

資格

  • 自己肯定感アップカウンセラー
  • ダイエットインストラクター
  • 認定エニアグラム心理コーチ
  • 認定ストレングスカウンセラー
  • チャイルドカウンセラー
  • 家族療法カウンセラー

大学卒業後、公立中学校に合計13年に勤務後、【自己肯定ダイエットコーチ】として独立。
様々なセミナーや研修で得た知識と、2000人以上の生徒や保護者と関わり得た経験を活かして身につけた、自己肯定感を高める方法やコーチング技術を用いて、多くの人の自己肯定感が向上していくことを目指す

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経歴

  • 2006.3〜私立大分東明高等学校卒業
  • 2006.4〜茨城大学教育学部入学
  • 2007.7〜大学在学中に茨城県のホストクラブに入店〜2年後退店
  • 2011.3〜茨城大学教育学部卒業(1年留年)
  • 2011.4〜茨城県公立中学校講師として中学校に勤務
  • 2015.4〜採用試験に合格し茨城県正式採用教諭として中学校に勤務
  • 2023.5〜中学校教諭を退職
  • 2023.5〜自己肯定感ダイエットコーチとして独立

高校時代(教師を目指し、勉強地獄の日々)

私の人生は自分の夢を追い求めるための絶えずの挑戦の連続でした。その経験を通じて、私は他人が自分自身を受け入れ、自己肯定感を持つことの重要性を深く理解しました。私がここに至るまでの旅は、高校時代の教育に始まります。

私の生まれ育った家庭は裕福ではありませんでしたが、教師という職業への強い憧れと関東のある教育学部がある国立大学への志望が、私を駆り立てました。その結果、私は学力向上のために地元の私立進学校に進学する道を選びました。

私立の高校に入学し、寮に入ることは、初めての一人暮らしという大きな挑戦でした。
学校の特別進学コースでは、毎日夜間授業を受け、午後6時まで勉強を続けるという生活が待っていました。

その上、寮生活は厳格な規則とともに行われました。元自衛隊の寮の管理人の厳しい指導の下、私たちは自分の生活を厳格に管理することを学びました。
帰宅時間は19時で、風呂に入って食事をとった後は、すぐに勉強を始め、午前0時まで続けなければならないという規則がありました。その上、私たちは2週間に一度しか実家に帰ることが許されず、携帯電話も禁止されていました。

しかし、これらの制約は私を強くし、自己肯定感を育てるための基盤となりました。それは困難を乗り越えること、自分自身を信じること、そして自分の能力を肯定することの大切さを理解させてくれたのです。

大学時代(自由な日々〜バイト漬け〜ホストクラブの経験〜1年留年〜無事卒業)

高校時代を戦い抜き、続く舞台は大学生活でした。自由とは言え、自立という新たな課題が待ち受けていました。

私の大学は、関東地方にある茨城大学の教育学部でした。数学を専攻することを夢見ていましたが、センター試験の点数が足りず、理科の道を選択しました。その結果として、より広い視野で教育について学ぶ機会を得ることができました。

高校時代の寮生活が私を一人暮らしに慣れさせていたおかげで、自立生活はそこまで困難に感じませんでした。しかし、大学入学後は仕送りも少なく、自分で生活費を稼ぐ必要がありました。

まず始めたのは、個人経営の地元の居酒屋でのアルバイトでした。続いて、チェーン開店の寿司店や家庭教師など、さまざまな経験をしました。

そして、大学2年生の夏、失恋のショックを抱えたまま、一度は憧れていたホストクラブでのアルバイトを始めました。しかし、テレビドラマのような華やかさはなく、本当の現場はかなり過酷でした。さまざまな事情を抱えたお客様が多く、敏感な問題に巻き込まれることもしばしばでした。

そして、お客様のツケを担当が肩代わりしなければならず、給料からその分が差し引かれるという厳しい制度に直面しました。しかし、この経験は様々な業界や人々の事情について学ぶ貴重な機会となりました。

バイトに追われる日々が続く中、大学の授業についていくのは難しく、4年間で卒業することはできませんでした。しかし、その中でも教師になりたいという目標は決して揺るがず、5年目に入ると、学費と生活費を払う最低限の貯金はできていたのでバイトは減らし、ようやく真剣に学業に取り組むことができました。そして、それが功を奏し、ようやく卒業を果たすことができました。

大学生活は思い通りには進まなかったけれども、それぞれの経験が私の人生観を深め、理解力を高めてくれました。さまざまな職種で働き、さまざまな人々と関わることで、人間の多様性や社会の複雑さを身をもって知りました。

しかし、一番大切だったのは、「教師になりたい」という初心を持ち続けたことです。それが私を支え、どんな困難にも立ち向かう力を与えてくれました。

教師時代前半戦(繰り返す挑戦:教師への道の困難な壁)

私の教師生活は、一言で言えば「挑戦」でした。子供の頃に読んだ教師漫画に心を奪われ、「教師をすれば毎日学校に行ける」という台詞に魅了され、まさにその道を歩み始めた私。

しかし、その道のりは決して平坦ではありませんでした。

まず私は講師としてのキャリアをスタートし、その一年目から中学1年生の担任を任せてもらいました。

言葉には表現しきれないほどの興奮と緊張が入り交じった、あの日のことを今でも鮮明に覚えています。私の目指す「いい先生」になるため、授業も部活も全力で取り組みました。

ところが、教師という職業の現実は甘くなく、大きな壁に何度もぶつかりました。

特に記憶に残っているのが、任されたクラスが崩壊寸前まで追い込まれたこと。私は先輩の先生のように子供を叱ることができませんでした。その結果、好き放題行動する生徒がちらほらと出てきました。その時はただただ落ち込みましたが、学年主任や生徒指導主事の力を借りて、「叱る」技術を学びました。教育は一方通行ではない、相手を理解し、時には厳しく指導することも必要だと気づかされました。初めて教えた生徒たちにはたくさん迷惑をかけてしまったけれど、彼らの成長を見守り続け、今でも続く深い絆を感じることができています。

また、部活動もその一つ。最初に担当したのは、私自身が未経験だった剣道部でした。しかし、そのことを言い訳にするわけにはいきませんでした。私は防具をつけ、1級の取得に挑戦したり、大会で審判を引き受けたりと、剣道の世界にどっぷりと頭を突っ込むこととなりました。

それから、教職の現実をより深く学んだ2年目。非常勤として他の学校での勤務を経験し、午前中だけの授業に物足りなさを感じました。そのため、夕方からは居酒屋でのアルバイトを始めました。居酒屋の生活もまた、過酷なものでした。学校の後は一息つつく間もなくアルバイトへと向かい、深夜まで働く日々は、かなりの負担でした。また、店長から受けるパワハラとも戦う必要があり、非常に厳しい状況でした。しかし、その中で私は耐え抜き、数々の経験を積むことができました。その経験は私の心を鍛え、私の教師としての姿勢をさらに深めました。

そして、講師4年目には、全く新たな挑戦が待っていました。それは、女子バスケットボール部の顧問となるという任務。先輩教師から「女子部は大変だ」という声を何度も聞いていましたが、それがどれほど本当だったか、私は直面することとなりました。生徒同士の人間関係、言った言わないの問題、被害妄想など、スポーツの指導よりも生徒指導に時間とエネルギーを注ぐことが多くなりました。バスケットボール自体も審判の仕事が非常に大変で、苦労の連続でした。

しかし、その中で私は、一人一人の生徒を理解し、彼女たちの成長を促すための新たな手法を学んだのです。そして、その成果が見えてくると、その達成感は何物にも代え難いものでした。

そして、ついに講師4年目で待望の採用試験に合格しました。その瞬間、私は過去の挑戦すべてが報われたように感じました。教師としての道は、決して簡単ではなかったけれど、それだけに、達成感はひとしおでした。挑戦と苦労の積み重ねが、私を形成し、今の私を支えています。そして、その経験が私のコーチングに生きています。

教師時代中盤戦(新たな挑戦:教師として本当に大切なことへの気づき)

採用試験にようやく合格し、晴れて正式な教諭となった私。

それまでの四年間、講師として経験を積んできたことから、新たなスタートが切れると自信満々でいました。

そしてこれからは同一の学校に長期間勤務することが可能になった。違った学校で経験を積むことはもちろん有益だったが、一つの場所で長期間働き、生徒たちと深い絆を築くことを楽しみにしていました。

しかし、現実は甘くありませんでした。
自分が以前、学級崩壊を招きそうになったことが心に深く刻まれていました。

それからは生徒をしつけることに神経を使いすぎて、その結果厳しすぎる指導になってしまったことが度々ありました。

このことは確かに問題行動の減少につながりましたが、それと同時に生徒との距離を深めることが困難となっていました。それを踏まえ、次の課題は生徒との関係性の構築であると自覚しました。

この時期に出会ったカウンセリングやコーチングの技術は、私の教育者としての視野を大きく広げました。話をしっかりと聞き、相手の内発的動機を高める声かけ方法の大切さを知りました。これらの技術は私の教師としてのスキルを一段と高め、その後の指導に大いに役立つことになりました。

さらに、私は再び女子部である女子テニス顧問として任命されました。その時点では弱小部活で、先輩と後輩の間に壁があり、様々な問題が山積みでした。しかし、生徒たちがテニスを楽しみ、やる気を持ってもらえるよう、無数の試みを行いました。初めの頃は困難な状況でしたが、時間とともに徐々に改善が見られ、ついには大会で賞を取るまでになりました。

この教員生活中盤の期間に、私は自己肯定感という重要な概念に触れる機会がありました。それは私が教師として生徒に何を教えていくことが最も重要なのかを考えていた時期でした。自己肯定感が低い生徒が年々増えていくことに悩んでいました。自己肯定感は心の土台とも言われ、その低い生徒たちは夢や希望を持つことが難しく、自己否定的な態度が目立ち、人生や学校生活を楽しむことができていないことが多かったのです。

それを見て、何とか生徒たちの自己肯定感を高めたいと感じ、その方法を積極的に学び始めました。そして自己肯定感が学生にとって重要な要素であると認識しました。その後の教師生活では、自己肯定感を高めることを最優先にして指導を進めました。

この学校では6年間勤めました。その間に関わった生徒は2000人以上に上ります。未熟な私が指導した生徒に対しては、後悔も多くあります。今の自分であればもっと楽しみながらや勉強テニスを学んでもらうことができたかなと思います。

しかし、それぞれの試練と成長の中で、私自身も人間として、そして教師として大きく成長することができました。その経験が今の私、自己肯定感コーチとしての基盤を築いています。私の教師時代中盤の経験が、現在のクライアントに対する理解を深め、有益なアドバイスを提供するための力となっています。

教師時代後半(学校教育への疑問の本当にやりたいことへの気づき)

初任校での6年間を終えた私は、新たな学校へと異動しました。

教師としての経験を積み重ねてきた私は、そこでの任期中に自信を深め、多種多様なトラブルへの対処能力も身につけ教師としての自信もつきました。

授業でも学力の伸ばし方のノウハウを身につけ、生徒のアウトプットを中心に据えたスタイルで、それを確立することで、高い平均点を保つことに成功しました。

わかる喜び、できる喜びを意図的に感じさせることで、学びのモチベーションを高め、生徒自身が自己成長の道を切り開く力を育てることに注力しました。

しかし、教師としてのキャリアを進める中で、私の中に一つの疑問が生じました。それは、自己肯定感の低い生徒が年々増えている現状と、学校教育がそれをどう捉え、対処しているのかということでした。私の教師としての一番の目標は、生徒の自己肯定感を高めることでした。しかし、学校教育の在り方には疑問を抱くようになりました。

自己肯定感が著しく低い生徒たちの中には、自傷行為をしてしまう生徒もいます。その痛ましい現実に直面する中で、私は学校教育が持つ課題に深く取り組むことを決意しました。

私が学んだことの一つは、社会全体が持つシステムに対して、全人口の75%が馴染むことができ、残りの25%は社会に馴染めず、社会を変えようとしたり、社会から逃れようとする傾向にある、という事実です。生徒たちの傾向もこれと同じで、喧嘩や問題行動を起こす生徒は減りつつある一方で、不登校や自傷行為などの問題が増えてきました。私は、この25%の人々に対して、教育現場で何ができるのか、自己の中で問い続けました。

我々の社会は一般的に、時間やルールを守ることを求め、これを守らなければ厳しい指導を行います。学校教育も同様に、子供たちが社会に馴染めるようにとの意図から、宿題の強制や厳格な指導が行われます。部活動では過度な訓練が行われ、競技自体を楽しむことができない生徒が増えていました。

人の性格や傾向を示すエニアグラムやMBTIなどを見てみると、学校教育が合わない人間も確かに存在します。生徒の自己肯定感を高めるために褒めるという風潮はあるものの、教師や保護者の中には生徒の劣等感を増幅させないように配慮する人は少ないと感じました。

私はもっと世の中を変えたいと感じ、日本の自己肯定感を高めること、多様な考え方が認められること、そしてみんなが自分自身の強みを理解し、それを活用して生きていくことを目指しました。そして、この目標を実現するために、教職を退職し、自己肯定感コーチとして独立を決意しました。

独立(35歳新たな挑戦)

2023年の春、13年間続けてきた教師生活にピリオドを打ちました。

心の底から感じていた思い、それは「もっと直接的に人々の自己肯定感を高め、その結果として社会全体を変えていく」。

そうして私の新たな人生の章、自己肯定感コーチとしてのキャリアが始まりました。

教師としての経験から得たコーチングの技術や、自己肯定感の高め方、そして個人的に学んだダイエットのノウハウをベースに、私のコーチングは形成されています。

自己肯定感を高めるという目標は、生徒だけでなく、社会全体に向けてのものでした。

私はこれらの知識を活かし、個々のクライアントの自己肯定感を直接高めるだけでなく、セミナーやワークショップを通じて、より多くの人々に自己肯定感を高めるための方法やコーチングの技術を広めていきたいと考えています。

しかし、私が新たに挑戦するビジネスは未知の領域であり、まさに初心者です。それでも、私は逆境を逆手にとり、この経験を他の独立を考えている人々へのサポートとして活かすことを望んでいます。その過程で躓くこともあるかもしれませんが、それら全てが貴重な学びとなり、次に繋がるステップとなることを信じています。

私の目指すところは、ただ自己肯定感を高めるためのコーチングを行うだけではありません。それぞれの人が自分自身を深く理解し、自分を愛し、自己肯定感を持てるようになること。そして、それが集まって社会全体が変わることを目指しています。そして、その道のりはまだまだ始まったばかりです。